20.姫路
1069年_バラ色
11世紀_西城秀樹
1069年、王安石が富国強兵を目的とした改革を実施した。
宋の時代で注目すべきは、王安石の新法と、それに関連して遼・西夏との関係を問う問題だ。我々は、加古川あたりに緊急停車して、その情勢を見守る必要がある。
王安石に紛するのは西城秀樹だ。彼は、北方からの遼や西夏の侵略に悩まされ、それに伴う軍事費の増大で財政的に破綻寸前にあった宋の危機を救おうと、神宗(6代皇帝)の信任を得て、次々と新法を施行して改革を試みた。改革は富国策と強兵策を柱とするものであったが、富豪や地主たちが結託して反対したため目的どおりの効果が現れず、かえって新法党(新法を支持する官僚グルーフ°)と旧法党(新法に反対する官僚グループ、司馬光らが中心)との対立を招き、官僚派閥の争いにより政治を乱す結果となってしまった。西城秀樹けんめいの苦心による“バラ(69)色のタンゴ”も、結果としてはバラ(69)色にならずに、引退に追い込まれてしまった。