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親鸞聖人の生涯(6)

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九十歳で示寂

 恵信尼が帰郷したあとは、夫と死別した末娘の覚信尼が、親鸞聖人の身の回りの世話をするようになりました。
 息子善鸞の背信、幕府の念仏者ヘの弾圧、恵信尼の越後ヘの帰郷など、さまざまな出来事にもかかわらず、精力的に著述を続けられていた聖人ですが、弘長二年(1262年)十一月十八日、弟の尋有僧都の住まいである善法坊で、念仏申しつつ静かに息を引き取られました。九十歳でした。そのときの様子について、「親鸞伝絵」では次のように伝えています。
「仲冬一下旬の頃から、聖人の容態が悪化してきました。それからというもの、聖人は世間のことについてはまったくロにされず、ただ阿弥陀仏の御恩の深いことばかり話され、称名をとなえるばかりでした。こうして十一月二十八日の午の時刻に、頭を北に、顏を西に向け、右脇を下にして伏せられ、念仏申されつつ息を引き取られたのでした」
 臨終を看取ったのは、末娘の党信尼、越後から上洛した三男の益方入道、門弟では越後高田の顕智房、遠江(静岡県)池田の専信房らでした。翌二十九日に東山の延似寺で火葬にふし、三十日に鳥辺野の北の大谷に納骨して墓標を建てました。
 聖人の葬儀を済ませた党信尼は、聖人の往生の様子や、その前後のことを書いて、越後の恵信尼に送りました。手紙を受け取った恵信尼は、感慨をこめて聖人の思い出をつづった手紙を党信尼に送っています。また、恵信尼は聖人の三回忌には追慕のために高さ七尺の五輪塔を建立しています。そして、恵信尼も文永五年(1268年)、八十七歳のとき、「念仏を大切に相続して、お浄土でお会いしましょう」という手紙を覚信尼に送ったのを最後に、間もなく聖人の待つ浄土ヘと旅立ったのです。


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