41.岐阜
58_ナヤミ
19世紀_手長ざる
1858年、清のナヤミにつけ込んでアムール川以北を奪う。
1858年は、まことに清国にとってナヤみ多き年であった。
内憂として(阜羽島あたり)太平天国の乱がおこり、外患としてアロー号事件がおこった。そのナヤ(58)みにっけ込んで、ロシアの初代シべリア総督ムラビヨフはアムール川以北を併合しようと1万2千の兵を率いて進出、アムール川(黒竜江)を国境にしようとネルチンスク条約の破棄と国境改訂を申し入れた。
清はネルチンスク条約を理由に断ったが、ロシアは威嚇射撃でおどして、清を屈服せしめてアイグン(?琿)条約を締結、アムール川以北をロシア領とした。アイグン条約といい、北京条約といい、口シアのやりかたはずるのだ。