40.岐阜
58_ナヤ・60_バンガロー
19世紀_手長ざる
天津条約(1858年)・北京条約(1860年)の2不平等条約で半植民化。
アロー号戦争の講和条約は、岐阜のテンシン町のナヤ(58)で行われ、ついでベキン町のバン(60)ガローで行われた。ナヤ(58)とバン(60)ガローはアロ一号のノボ(56)リ旗と線で結んでおく必要がある。
◆天津条約(1858〈ナヤ〉年)······この条約で、清国は、外交官の北京駐在・外国人の中国内旅行の自由・キリスト教布教の自由・揚子江の自由航行権・10港の開港を認めた。南京条約をさらに拡大したものだ。
◆北京条約(1860〈バンガロー〉年)······天津条約批准のときに英仏公使が砲撃されたことでアロー号戦争が再燃、英仏は北京を攻撃してこれを占領した。清は天津条約の内容に加えて、天津の開港、ロシアへの沿海州の割譲、イギリスヘの九竜半島南端の割讓などが決められた。ロシアは戦わずしてもうけたのだ。
(注意)天津条約はナヤ(58)のほかに、ヤネ(85)裏で行われたのもある。清払戦争の講和条約(1885)も天津条約だから混同しないこと。