39 .岐阜
56_ノボリ
19世紀_手長ざる
1856年、アロー号事件を口実に英仏が清を攻撃。
岐阜は東海道線が下リ坂を降りきったあたり。このあたりヘ未ると清の衰勢はおおうべくもない。
アロー号戦争は、イギリスが清に対して仕掛けた2度目の侵略戦争であった。1856年、イギリス船籍の海賊船アロー号が広東港で清の官憲の取リ調べを受け、国旗を弓き下ろされた事件(アロー号事件)を口実に、イギリスは宣教師を殺害されたフランスと共同出兵し清を屈服させ、天津条約(1858年)を結んだ。ところが天津条約の批准書交換で戦火が再燃。1860年には英仏連合軍が北京を占領、ロシア公使の仲介によって北京条約(1860年)が成立し、4年におよぶ戦争に終止符を打った。
我々は、岐阜に間題となったアロー号のノボ(56)リ旗を見ることができる。アロー号(1856)一天津条約(1858)一北京条約(1860)と2年ごと、偶数年号と覚えとこう。このあたリ、欧米到強の中国に対する手の出しかたは、手長ざる(19世紀)にも似ているのだ。
◆アロー号······アローとは英語で矢(arrow)のことだが、清朝の官憲は英語など知る由もないので、海賊船であろーと思って取り調べたのだ。果たせるかな、イギリス船籍の登録期限は過ざていたのだ。国旗侮辱はイギリス側の開戦の口実に過ざなかった。