38.関ヶ原
40_タンつぼ
19世紀_手長ざる
1840年、アヘン戦争おこる(屈辱の100年の幕あけ)。
上り坂でった清の国勢は、19世紀前半には急速に養え、官僚の腐敗は目をおおうほどになった。タイムカプセルも米原(白蓮教徒の乱)を遇ぎると、急な下り坂になるのと符合している。
関ケ原は天下分け目の戦いの戦場跡だが、我々はそこにアヘン戦争を想像することができる。アヘン戦争は、清国が武力で敗北した最初の事件であり、中国半植民地化のきっかけとなる事件であった。
ことは、インドの東インド会社を根城とするイギリスが、貿易収支を黒字とするため、インド産のアヘンを中国に売りつけたことに起因する。清は林則徐を欽差大臣としてアヘン禁圧を行ったがイギリスは武力報復を企てて開戦、近代的設備で清を圧倒した。
林則徐カアヘンを禁制して、タン(40)つぼに捨てたのがもと!?
◆南京条約(1842年)······2年後の1842年、南京でアヘン戦争の講和条約が締結さL、清は広東・廈門・福州・寧波・上海の五港を開港し、香港をイギリ又に割譲、ここ に半植民地化の第一歩を踏み出した。