36.草津
89_ヤリ
17世紀_チンドン屋
1689年、康熙帝、ネルチンスク条約でロシアの南下を阻んだ。
タイムカプセルは京都(清朝の中国支配)から名古屋(辛亥革命清朝の終わり)まで進行したため、もうー度、大津あたりヘもどってみよう。自由にバックできるのがタイムカプセルのおもしろいところ。今度は在来線(東海道線)に乗り換えて、清朝の外交史を中心に眺めようというわけ。清朝の時代は、とくに列強のアジア進出がポイント。なので、かくはタイムカプセルを17世紀(チンドン屋)に引きもどして、各駅停車というべき在未線に乗リ換えた次第。
ネルチンスク条約は、1689(ヤリ)年ロシアのピョートル大帝と清の康熙帝との間に締結された国境条約。ーシベリア(ロシア)と満州(清)との国境について協議した康熙帝は軍事的優位を生かしてロシアのピョートル大帝をヤリ(98)玉にあげ、はるか北方の外興安嶺を国境と定めてロシアは完敗、北方の熊は清のヤリ(98)先に降伏したかっこうとなった。
◆ネルチンスクはアムール川上流の地名。会談の行われた場所。ロシアの東方進出は、ネルチンスク、キャフタ、アイグン、北京の順番。ネルチンをキャフタして、アイグンしたらベキンペキンとなったとしておこう。これなんのことか勝手に想像すること。