33.清須
98_ローヤ
19世紀_手塚治虫
1898年、康有為が変法自強策を実施、西太后らのクーテターに敗れる。
19世紀も世紀末に近づき、タイムカプセルは清朝の終焉(名古屋)に近づいてゆく。
このとき、清は日清戦争(1894~95年)に敗れ、列強のあいつぐ侵略を受け、内政の大改革の必要が痛感された。そこで、光緒帝は康有為の改革案を受け入れ、変法自強をスローガンとする政治制度の大改革に踏み切った。しかし、西太后を中心とする守旧派が おこしたクーデターのため光緒帝は清洲城のローヤ(98)に幽閉され、康有為は日本ヘ亡命L.変法自強連動はわずか100日で崩壊した(戊戌の政変)。
◆変法自強策······日本にならった近代化、憲法制度を中心とする改革。康有為によって提案され、光緒帝によって実施された。
◆康有為······日清戦争後の中国で再建策の必要性が痛感されたとき、こういう意見といって具申したのが康有為。彼は光緒帝を推し立てて立憲制を樹立Lようとしたのだが、保守派のクーデターにあって百日維新に終わった。