13.新倉敷
618年_アヤメ
7世紀_北の湖
618年、李淵(唐の高祖)唐を建国して隋を減ぼす。
新倉敷は倉敷から在来線で2つめの駅。昔、玉島といったのを、新幹線停車のため新倉敷と駅名変更した。唐の建国者李淵(高祖)は、隋の2代皇帝煬帝の高句麗遠征失敗の報に突厥と結んで反乱をおこし、618(アヤメ)年に唐を建国、都を長安に定めた。
唐は隋のあとを受けてその政策を受けつぎ、漢民族の勢力を拡大して東アジアにさん然たる文化の花を開かせるに至った。李淵(高祖)に紛するのは北の湖。その肥った腹といい、連戦連勝の破竹の勢いといい、まことに唐の建国者にうってつけの役だ。
北の湖は、長安こと倉敷の町にアヤメをたくさん植えたのだが、これがいっせいに開花Lて、さん然たる唐文化があやめもわかぬほどに開ことになるのだ。我々も、アヤメを植えておこう。
*文目(あやめ)も分(わ)か◦ず【文目も分かず】
1 暗くて物の模様や区別がはっきりしないさま。
2 物事の分別がつかないさま。
「―◦ぬ暗の夜なれば、ここを何処としるよしなけれど」〈逍遥・当世書生気質〉
「あらはれていとど浅くも見ゆるかな―◦ず泣かれける音(ね)の」〈源・蛍〉