6.防府
184年_ヨタ者
2世紀_石川さゆり
184年、張角を教祖とする太平道の農民が乱をおこした。防府は山口県の県庁所在地に最も近くバスの便もあるのだが、新幹線の駅はない。つまり時代の区分点(王朝の交代)ではない。しかし、ここでおこった黄巾の乱は、やがて後漢の滅亡に結びつき、次の停車駅岩国(三国時代の始まり)に連絡している。
さて、2世紀も後半になると、漢王朝には宦官が跋扈して専横となりついに党人(儒学を修めた官僚)と対立して、これを禁錮して政界から追放するという事件がおこった(党錮の獄166,168)。動揺する農民のなかから太平道という新興宗教を掲げて頭角ならぬ張角を現したのが石川さゆりの紛する張角。彼は呪文や水で病気を治すなどして貧農の心をとらえ、世直しの必要を力説して「蒼天す
でに死し、黄天まさに立つべし」と大だんびらを切った。蒼色は漢王朝の色、そうして黄色は自分たちの色。太平道に結集した20万余の農民はその予言を信じて、黄色の巾を仲間の目じるしとして武装蜂起した。その予言の年が184年(ヨタ者)。石川さゆりをとりまく貧農とヨタ者の反乱は激闘1年で敗れはしたが、残党あとを絶たず、後漢の中央集権は弱体化して各地の豪族の台頭を招き、後漢の減亡を決定的にした。
とにかく中国史は反乱の歴史であり、色の歴史だ。防府のあたりで石川さゆりをとりまく者に黄色い巾をばらまこう。