よく聞くことがある
人生は一度きり
死んでしまえばおしまいなのだから
楽しまなくては損だ
何を年をとってまであくせく働く必要があるものか
(金などためても仕方がない
楽しむために使い切ってしまえ)
… というようなことを。
刹那的ではあるけれど、一種さとりの境地だなあ、と思う。
さとりうるならそれでいいけれど
私にはどうにもさとれそうにない。
ちなみに、楽しむとはなんだろう
楽しむという言葉から
信楽
という言葉が思い浮かぶ。
楽しむという言葉に信がともなう
信楽とは何かを WikiArc に尋ねるに
『大経』第十八願の三心の一で、三心はこの一心におさまる。阿弥陀仏の本願の生起本末を聞いて疑わない心。他力の信心のこと。
とある。
また、『尊号真像銘文』には
「信楽」といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じて疑はざれば、信楽と申すなり。
とある。
あるひとは
楽しむをもって 満足 という。
たらぬものなしのこころか。
何をもって足らぬものなしといえるのか?
ここにもまた
信 の意味があると感じられる。