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浄土和讃_3

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光明月日を勝過して
超日月光となづけたり
釈迦嘆じてなおつきず
無等等を帰命せよ

弥陀初会の聖衆は
算術のおよぶことぞなき
浄土をねがわんひとはみな
広大会を帰命せよ

安楽無量の大菩薩
一生補処にいたるなり
普賢の徳に帰してこそ
穢国にかならず化するなれ

十方衆生のためにとて
如来の法蔵あつめてぞ
本願弘誓に帰せしむる
大心海に帰命せよ

観音勢至もろともに
慈光世界を照曜し
有縁を度してしばらくも
休息あることなかりけり

安楽の浄土にいたるひと
五濁悪世にかえりては
釈迦牟尼仏のごとくにて
利益衆生はきわもなし


<メモ>

光は火と人を組み合わせた形。
ひざまずく人の頭上に大きな火の光をかいて、
火を強調して見せている。
古代の人々にとって火は神聖なものであった。
故に火を守って神に仕える人がいた。
光はそのような火を扱う聖職者を示す。
のち火の「ひかり」そのものを光といい、
光を出して美しく見えることから、
「かがやく」の意味となり、
その意味を人の上に移して
光栄(ほまれ)・光烈(立派ないさお)という。

明は窓の形と月とを組み合わせた形。
窓から月明かりが入り込むことを明といい、
「あかり、あかるい、あきらか、あける、あかす」などの意味となる。
古い時代の中国北部の黄土地帯では半地下式の住居が多く、
竪穴を中心に作られた部屋の窓は一つであり、
そこから入る窓明かりを神の訪れと窓のところに神を祀った。
それで神のことを神明という。

月は月の形。
「つき」をいう。
月は満ち欠けをするものであるが、
まるい形の日(太陽)と区別するために、
三日月の形とする。
夕方の月の形である夕(ゆうべ)と古い字形は似ている。
月には点を二つ、夕には点を一つ加えて区別している。

日は太陽の形。
「ひ、太陽、ひかり」の意味に用いる。
太陽は丸い形であらわすが、
中がからっぽの丸い輪ではなく、
中身があることを示すために、
中に小さな点を加えた。
太陽は尽きのような満ち欠けがないから丸い形にしている。
ジツという音があるのは、
実(充実する、みたす)の意味を示すからであるとする説がある。
国語では「か」とよみ、四日のように言う。

勝は、盤(舟)の中に物を入れ、
両手で捧げて人に贈る事を示す。
力は耒の形。
耒に盤中のものを添えて豊作を祈り、
良い結果を得ることを勝という。
それで「まさる、かつ、すぐれる」の意味となる。









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