念仏は道となる
さらに、「歎異抄」では、「念仏者は、無碍のー道なり」と、念仏についての表現が出ています。念仏を申して歩む人は、ーつの道を歩むことになるのだということです。念仏は、私たちにとって道となる、あるいは道を開くのだと言われるのです。では、念仏が道となるとはどういうことでしょうか。
この道は、念仏をとなえながら私たちが切り開いていく道ということではありません。この道は私たち人間が作る道ではなく、仏さまの方から与えられ、仏さまの方から開かれる道です。それはどういう道なのでしょうか。ヒントは、「無碍」という言葉にあるようです。「無碍のー道」、その道は、無碍という道だと言われるのです。
無碍の碍は、「碍」は「さわり」という意味です。差し障りの「さわり」です。つまり私たちを妨害したり縛ったりして、自由にさせないものが「さわり」です。私たちにとって障りとなるものとは何でしょうか。私たちは何に縛られるものでしょうか。言われてみれば、いろいろなことが思い当たりますし、様々なことが考えられます。でも、普段はあまり問題にせずにいるのではないでしょうか。