9月18日
犬飼裕三子師のお話を聞く
犬飼裕三子師
講題は
真宗の教えが私に問いかけること
聞いたことを勝手な妄想(師の言われたことをたぶん聞き違えているだろうから)
で羅列すれば
1.彼女の父の話
自分は善人である、少なくとも悪人ではないという想い。
→父は「お前は悪人である」と言う。
2.彼女の息子の話。
息子は私のものであるという想い。
→私が仏の子であると同時に子もまた仏の子。私の所有物ではない。
3.教導仲間の話
人を教え導くには私がすべてを知っていなければならぬという想い。
→人に教えを説くことは人から教えられることである。
矢印前は教えを聞く前の自分の想い、
矢印以降は縁ある人々からの問いかけ。
というところか。
<メモ>
1.については父の娘に助かってほしいという願いの言葉であろう。
なぜなら「悪人」こそが弥陀の助けたいという願いのお目当てだからである。
むろんここで「悪人」というのは行為としての悪をなす人をいうではない。
2.については、わが子が仏の子であるならばいずれ仏となるものである。
ならば人としての私はそのものを賛嘆、供養するほかはあるまい。
3.については、ただ聞く人にともに遠く仏との縁あることを喜ぶ
というほかはないだろう。