この岸よりかの岸に至る道。
仏教というものにふれる縁のあるひとは
たぶんこの白道という言葉に出会う可能性が高い。
善ということを好む人は
たぶん、仏教というものを好み、
その縁にて白道を好む。
何故なら白道に純粋性を見、
そこに自らの純粋性を重ね合わせようとするからである。
問題はその純粋性にあるだろう。
自らがその白道に立った時、
その道の左右から押し寄せる水火を
私とは別物の他者(非純粋物)と見るからである。
このとき、白道だと思っていたものは
実はこの岸にこさえた妄念の道となっているのである。